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なつみ憂のブログ

主に本や映画について。高学歴ニート→Webデザイナー

FNS歌謡祭のコラボ歌手は何故「見つめ合う」のか? - 音楽番組と日常性の距離感

なつみ「あれさえ止めてくれたら、FNSは本当に完璧なコンテンツなんだけどねえ」

 

司会者「確かに不思議というか、見てて恥ずかしくなってしまう」

 

なつみ「取りあえずいくつか記憶に残る所を挙げていこうか。まずは2012冬のTAKAHIRO(EXILE)×JUJUの『やさしさで溢れるように』。JUJUの代表的なバラードソングで、サビの力強く広がっていくような展開が胸を打つ名曲だ。そういった曲の特徴をしっかり抑え過ぎたせいなのか、サビに入ると二人は身体を向け合って、終始見つめ合いながら歌うという演出が始まる。」

 

司会者「カメラワークも、二人の周辺をぐるぐる回ってる。非常に力の入った演出ではあるね」

 

なつみ「そう。こういうのを見るとねー、やっぱりディレクターの意志の元に、確信的に見つめ合わせているという可能性が高い。勿論全てではないと思うけど、このTAKAHIRO×JUJUコラボに関しては台本に『サビで向かい合う』みたいな事が書かれているんじゃないかと思うね」

 

司会者「ディレクション段階の演出なのか、歌手の意志によるものなのかっていうのは結構重要だよ」

 

なつみ「その当りは後に検討することとして、次を見てみましょう。2014冬の玉置浩二×森山直太朗『メロディー』。これは個人的にかなり好きです。玉置の暴走具合も抑えられてるしね。最初のカットは直太朗の横顔で、何を歌うのかと思うと”あ〜んな〜にも〜”。」

 

司会者「そこからフェードインで玉置登場で『おおおおお!!』」

 

なつみ「この時点で5億点!みたいなね。とにかく当然だけど、このコラボ、歌は本当に素晴らしいですよ。で、問題の見つめ合いなんだけど、かなりソフトではあるんです。ただね、よく見るとマイクスタンドも内側に角度がつくように置かれていたり、両者が斜めに向かい合うような形で歌っているんですよね」

 

司会者「男同士」

 

なつみ「やっぱりこれは不自然だと感じざるを得ないわけ。さっきの『やさしさで溢れるように』は恋愛の歌としての必然性がまだあったんだけど、『メロディー』の歌詞ってモノローグに近くて、過去や故郷を偲ぶような感じなのよ。歌手同士が、しかも男同士が見つめ合う事でどんな意味が生まれるのか分からない」

 

司会者「その発言LGBT的に大丈夫?」

 

なつみ「性愛マイノリティについて考える事と、エンタテインメントのステージやテレビというメディアでそれをどう見せるかってのは全然別でしょう。届ける側は、常に観客がそれを見てどう思うか想定しながら作っていかなければ行けない訳で、一方的に政治的なメッセージなんですとか言われても、こっちは追っ付かないからね。ただやっぱり、玉置×森山の見つめ合いに関しては、まだ全然見れるレベルなのね。しかし最後の握手と肩を抱き合う感じの流れが来て、『やっぱりそう来ますか』と。」

 

司会者「コラボ歌手同士の関係性を必ずどこかに残していく、ってこと何ですかね」 

 

なつみ「結局関係性とか、社交のレベルでこういう事が起きているっていう面はあるわね。小室哲哉が自著『罪と音楽』の中で『カラオケの本質は社交である』という事を早くから察知して、その上でTRFを仕掛けていったなんて事を書いてたんだけど、その意味では歌番組のカラオケ化というのが垣間見えているのかもしれない。さてさて、次はもっとラディカルな例として、2014冬の鈴木雅之×西内まりや『幸せな結末』。大滝詠一を偲ぶコーナーの一部で見られたコラボです。」

 

司会者「大滝氏が愛用していたジュークボックスがこれ見よがしに登場する謎のコーナーでした。」 

 

なつみ「このコラボでは二人が椅子に座って歌うんだけど、初っぱなから椅子がお互いに向かい合うようにセットされていて、最後までそのまま見つめ合って歌い続けるという、なかなか大変な映像です。ここまで来ると恥ずかしすぎてもうダメだと思うじゃないですか?でもね、逆にこのぐらいまでやりきる事で、こちら側で勝手に二人の関係性を妄想させるような効果が生まれて、逆に大丈夫だったりもするんですよね」

 

司会者「ハア」

 

なつみ「例えばさ、2014年夏にはアナ雪特集があったのね。神田沙也加 × 津田英佑による『とびら開けて』では、お互いの掛け合いがあったり、ベタな演出が沢山ある。でもこれを見て恥ずかしい気分になる事はないんですよね。まあ当たり前で、彼らは生身の歌手である一方でアナ雪で声優を務めていて、見てるこっちからしたらアナとハンス王子なわけだから。そういう関係性のフィルターみたいなものがはっきりしていれば、それを通して必然的なものとしてステージを見ていられる。」

 

司会者「不謹慎な事をいうと、鈴木×西内のコラボではシュガーダディ的なものを容易にイメージ出来ちゃいますからね。」

 

なつみ「これねー、どっちかって言うと西内まりやのがんばりがやっぱり凄い効いてるんですよね。心から一生懸命歌ってます!っていうのが全身から伝わる。情熱大陸とか見てても、そういう方だってのは結構伝わってくるんですよね。何事にも後ろめたさゼロで、全力で頑張るんですよ。それが結果的に、観客に関係性を妄想させる程の力になっているって事なんだと思う。」

 

司会者「やっぱり鍵は関係性だと」

 

なつみ「コラボってFNSの一番面白い所なので、それ自体を否定するつもりは全く無いし、これからも沢山やってほしいですよ。ただやっぱり、こういうヌルい演技っぽい見つめ合いとか馴れ合いみたいなのは見ていて恥ずかしい訳です。難しいところだとは思いますが。やっぱり鈴木×西内みたいに、どうせやるならバッチリ世界観を作ってやると良いですね。ただそれも難しいと思うので、無理そうだったらさらっとドライに歌って終わり、でも全然良いと思うんですがね。FNS歌謡祭は音楽自体が素晴らしいですから、それだけで十分。」

 

司会者「こういう光景から受ける恥ずかしさって、自分たちの日常生活を投影したものでもあるよね」

 

なつみ「やっぱり歌手の人たちも、ああいうコラボのステージだとお互い気を気を遣っているんだと思う。中途半端な馴れ合いを見せられると、それが見透かされちゃうんだよね。それで見ていられない気持ちになる。自分が誰かに気を遣っちゃ言う時のイヤな感じとか思い出しちゃうのね。あまりお互いのこと理解せずにコラボしてて、しかもそれを不安に感じてるんだと。こっちとしてはそんな事どうでも良いので、堂々としたステージを見せて欲しいじゃないですか。あとはやっぱり、社交とか関係性を大事にする風潮が持ち込まれてしまっている気はする。『この人とはこんなに上手くやってますよ』みたいなアピールになっちゃってるよ。」

 

司会者「実際には仲が冷えきっている夫婦でも、人前だと仲良しアピールをするようなもんだな」

 

なつみ「テレビというメディアは『日常』の本質なんだけど、歌番組って例外的に非日常を感じさせてくれるコンテンツのひとつなのよ。僕がHEY!HEY!HEY!とかミュージックステーションとか昔から好きな理由って多分その辺の事で、日常の中に音楽という非日常が入り込んでくるような面白さを感じていたんだと思う。FNS歌謡祭みたいな、すごくまっとうな音楽番組で、そういう『人間関係 = 日常』が見えちゃうと、どうしても残念な気持ちになっちゃいますね。」