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なつみ憂のブログ

主に本や映画について。高学歴ニート→Webデザイナー

アイドルにはやっぱり性器が無いらしい

 

なつみ「いやあ、なかなか燃えるニュースだよね。」

 

司会者「安保法案が霞んでしまったという」

 

なつみ「やっぱりね、アイドルには性器が無い、あってはならないという事がはっきりしつつある。これなかなか面白い問題なので、参考資料に触れつつ考察していきたいんですけども。まず松谷創一郎の『ギャルと不思議ちゃん論 ― 女の子たちの三十年戦争』によれば、近代化以降の日本は身体的に成熟していながらも性的であってはならないという矛盾を抱えた存在、松谷氏の言葉で言うと『少女』を生み出したという。」

 

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端緒となったのは、一八七一年(明治四年)の官立女学校(後の官立東京女学校)の誕生だ。以降、制度を変えながら女学校は徐々に増えていく。そこで目指されたのは、良妻賢母の育成だった。

(中略)

この時期の"少女"たちには、良妻賢母を目指すゆえの純潔規範が課せられていた。それは、異性愛者として結婚まで貞操を守らせるためだ。将来、夫に献身して子供を産む「良妻賢母」になるためには、複数の男性と交際をしたり、他の男性との子供を産んではならないといった規範意識を植えつける事が必要だった。

(中略)

身体の性的使用が可能であるにもかかわらず、 使用が禁止された存在 - それが”少女”だ。十代のころに純潔思想を課し、将来「良妻賢母」に育てて国民国家の形成に役立てようとする政府と、その状況下の文化によって構築された存在が”少女”だったのだ。
大塚が指摘するように、前近代に存在したのは「性的に未成熟な幼女と成熟した女の二種類だけ」だ。

参照:松谷創一郎『ギャルと不思議ちゃん論―女の子たちの三十年戦争

 

司会者「幼女と女しかいないというのも、改めてそう言われるとヤバそうな感じはする」

 

なつみ「しかし1990年前後に少女の側からこうした欺瞞に対する告発が起こる。その最たるものが援助交際やブルセラに代表される、『浮遊する身体』を持った女子高生だ。映画『櫻の園』やドラマ『高校教師』といった文化状況、ポケベルという新しいコミュニケーションツールの登場など、幾つかの伏線を示したうえで松谷はコギャルに言及している。」

 

当時まだコギャルという呼称は人口に膾炙していなかったが、"少女"からコギャルへの転換点はまさにこの時期だった。性的身体を持ちながらその使用を抑圧されていた"少女"が、その商品価値を自覚し、能動的に利用していった結果がコギャルなのだ。

 

 

なつみ「こうした背景を境に、中高生の恋愛/性交経験率は上昇していく。前の記事でも使った図をもう一度」

 

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司会者「このブログ、若者の性体験気にしすぎ感が出てきてるよ・・」

 

なつみ「最近はちょっと下降傾向みたいだけど、女子に関しては大体4人に一人は性体験がある、という時代になった。」

 

司会者「女子が高止まりしてるのに、男子はめっちゃ下がってる。恋愛格差広がってるなあ」

 

なつみ「とにかくまあ、そんな時代であると。そんな中で2005年、AKB48が現れた。明文化されてはいないものの、AKBは恋愛禁止とされている。当然そのルールが完全に守られる事は難しいわけで、メンバーの恋愛スキャンダルが定期的に報じられる。そこで当人が更迭されたりされなかったりして、その度に『恋愛禁止は女性としての尊厳を奪っている』『本人が望んでアイドルしているから仕方ない』『ルールの適用が恣意的で不公平』といった議論がなされる」

 

司会者「でも問題はそんなところじゃないと」

 

なつみ「秋元康はいつも言っているけど、AKBを含めて多くのアイドルは明確に恋愛を禁止しているわけではない。じゃあなんで恋愛がらみのスキャンダルがアイドルにとって死活問題なのかというと、それによってファンが離れ収益が下がってしまうという、ごくシンプルな経済的な要因でしか無い。アイドルのファンは、アイドルがセックスする事を許さない。もっと言うとアイドルファンの態度というのは、アイドルに性器があることを、どうしても認めたく無いという態度に感じられるのね。今回の東京地裁の判決は、そういうドルヲタ特有だと思われていた性質が、やっぱり日本人男性の本質的なメンタリティとしてまだまだ健在である、という事を示しているように思えてならないね」

 

司会者「さっきから性器性器ってなんなんすか?」

 

なつみ「ちょっと興味深い小説があるのよ。東浩紀が濱野智史との対談の中で取り上げていた小松左京の短編で『藪の花』というものがある」

 

 

なつみ「めちゃくちゃざっくりあらすじを言うと、老夫婦のもとに、突然23人の女の子が現れる。彼女たちは彼女たちは女性として魅力的でありながら性器を持たない。セックスも妊娠も無い。そして半永久的に存在し続ける、という特にオチなどのない話。ただ彼女たちの、①群体で存在し、②性器を持たないという特徴は、AKB48的なアイドルにそのままあてはまる」

 

司会者「小松左京やっぱ凄いな、、」

 

なつみ「さらに東はこの『群れ』としての女性についてもかなり面白い考察をしていたりするんだけど、ここでは詳細は置いておこう。小松左京がどういう意図でこの短編を書いたのかはよくわからない。ただ彼の作家性から考えて、現代日本の何かをここで表現していると考えるのが自然だね。どうも日本の男は、『少女』=『性器を持たない女』がどこかにいないとダメらしい。イケてる女子高生であれば大概は性体験があるという事実を、何かで埋め合わせて、どうにかして隠蔽したいのでは無いか。現代のアイドルの興隆というのはそういう願望が生み出したものだという事が、今回の裁判のニュースを聞いて僕が思ったこと。結構根深いというか、面白い話ではあると思う。」

 

司会者「言うなれば少女イデオロギー」

 

なつみ「このへんは海外の事情とかも考慮していくべきなんだろうけど、何かわかり次第またこの話ができたらいいですね。」