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なつみ憂のブログ

主に本や映画について。高学歴ニート→Webデザイナー

キーボードが無くなる日。テクノロジーで変わる「書く」の未来

社会

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参照:Flickr: Elvert Barnes' Photostream

現代は、多くの人が仕事・プライベートを問わずキーボードで文章を書く時代です。また、ブログを書くというのもPCのキーボードを叩くという作業です。もっと考えてみると、小説、映画やドラマの脚本といったフィクションから報道で得られたニュース情報まで、それらのほとんどは私たちに届けられる前にはどこかの段階でキーボードによって打ち込まれた言葉なのです。僕は以前からこれってけっこうすごい事なんじゃないかと素朴に考えていました。世の中の言葉の大半が、キーボードというインターフェースを経由して届けられているのです。

じゃあ、そうなのだとしたらタイプライターやキーボードといった「書く」ための道具が今後変わっていくと、どんな変化が生じるのでしょうか。海外のウェブサイト「uxmag.com」の編集長、Josh Tysonによる記事 Can Technology Change the Experience of Writing? が大変興味深かったので、以下に翻訳しまとめたものを掲載します

書く事はグラマラス(魅力的)な事ではない

私の書き手としての人生は、紙の上から始まった。何かについての短い文章を最初に書いた記憶というのは、小学校でノートを手にした頃だ。高校に入るまで私は、お気に入りのノートに自分なりの詩篇を綴ったりしていたものだ(まあ黒歴史だけど今だから言える)。

大学ではジャーナリズムを専攻していて、良い教授に恵まれた。彼は私たち学生に対して、ニュースを書くという事は自我の発散ではなく、プロとしての職人技でなくてはならないという事を教えてくれた。配管工が彼らの道具を持っているように、ジャーナリストも自分の道具を持っている。双方の職業にいえるのは、その道具の構造や動作についてもしっかり知っておく事が重要なのだ。配管工は水道の通し方を熟知していて、ニュースリポーターは事実を掘り起こして整理し、それを「逆さまのピラミッド」に落とし込まなければならない。(※逆さまのピラミッドとはジャーナリズム用語。冒頭に事実を起き、その後に詳細を書いていくというルールに基づくもの。)つまりこうだ。「書く事はグラマラスではない。書く事は仕事。

モノとして美しいタイプライター

ハンター・S・トンプソンからヘミングウェイに至るまで、私の文学的アイドル達は「書く」とういうハードワークのロマンをかき立てた。物語を綴るという仕事は、タイプライターという機械によって生み出される、骨の折れる作業だったのだ。

タイプライターは、たとえそれが醜いタイプライターであっても美しい。昔の彼女が「ロイヤル」の中古タイプライターを買ってくれた時、嬉しさのあまり私はそれであらゆる文章を書いた。小説から映画の脚本、ちょっとしたエッセイに至るまで。そのようにして私は、書くという事がどんな仕事なのかという事に気づき始めた。

その前後に、私はあるスケートボード雑誌でスコット・ボーンについて知った。スケボー業界では、腕中に掘られたタトゥーが有名な人物で、雑誌にコラムを連載してるやんちゃな男だった。アメリカ文化に対する率直な批評が人気で、2000年代の初頭に彼が小説を書く為にフランスの人里離れた村に引っ越すと言い出した時にも、そんなに驚くものはいなかった。

パソコンを使わない作家

スコットは、あらゆる事を紙に書いた。コンピューターは持っておらず、タイプライターとノートと鉛筆さえあればOKだったのだ。何年もの時間をかけて編集を重ね、彼はついに半自伝的な本を書き上げた。スコット自身が90年代を過ごしたサンフランシスコでの話で、"A Room With No Windows"という本だ。彼は渋々ながら私にその本の草稿を送ってくれたのだが、それはCD-Rのデータで、紙に印刷しなければ読めないようになっていた。さらに言うと、そのCD-Rは秘密文書用の封筒に入れて送られてきたのだ。

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数日前に「Hemingwrite」(お洒落なワープロ風の機械。"書くためのKindle"と呼ばれる)をみたとき、私はスコットの事を思い出し、彼にメールで教えてあげた。実をいうと、2010年にも私はスコットに"OmmWriter"というアプリを紹介した。パソコンの全画面でライティングが可能で、気を散らす事無く書き物を進められるというアプリだ。

「ものを書くには、規律が大切」

そのときの彼の返答はこうだった。「OmmWriter、そのうち見とくよ。ただまあ、俺はハードウェアの男だからねえ・・」その返信に添えられていたリンクは、スコット自身がスケートボードに興じ、タイプライターについて語る動画だった。

 

ほとんど予想した事ではあったが、「Hemingwrite」に対する彼の反応も似た様なものだった。

Hemingwriteに関しては、率直に言って単なるガジェット好きから金を巻き上げるだけの代物だと思うね。 例えばさ、仕事に集中しようとして携帯電話の電源を切ったとしても、小説を書く為に使うのがPCだったりしたら、たいして意味ないと思う。ものを書くにあたっては、規律がすべてだ。作業の初めから、規律を持って文章に立ち向かわなきゃならない。ちょっとしたガジェットなんかは助けにならないよ。物書きっては、まったく孤独な職業だよ!

 スコットがこうした異議を唱える一方で、私はヘミングライトの見た目そのものが気に入っている。節度あるスクリーンの感じや、実際のレバーとノブで構成されているという所が気に入っている。ヘミングライトを見るにつけ、是非とも使ってみたいと思うのだが、よく考えてみるとその基本的な機能というのは、大学時代に両親がプレゼントしてくれたワープロ、「AlphaSmart Pro」となんら変わる所が無い。

自由から制限へ

AlphaSmartは、ラップトップが出てくるまで、僕の最高の相棒だった。どこにいても文章を書く事ができるので、バスの中でも、コーヒーショップでも、私はAlphaSmartで文章を書いた。このハードウェアによって、大量の手書きメモを転写したり、重いタイプライターと紙を持ち運ぶ苦労から解放されたのだ。一方、Hemingwriteはこれとは逆に書き手に制限を与えている。つまり、文章を書いている途中でネットの情報に気を紛らわせる事無く作業を進められるのだ。

数年前、ジェイソン・エプスタインは"New York Review of Books"でこのように述べている。

文学的創造という孤独な仕事の困難というのは、それが端的に一人の作家の才覚によるということであり、決して共同作業などで優れた作品が生まれる事などないという事だ。ソーシャルネットワーキングは、このような人工世界の構築に関しては障害になる。作家にしてみれば、友人や編集者に作品を初めて見せるまでは、その作業というのは極めて孤独なものだ。

「書く」の本質は変わらないが・・

興味深い事は、テクノロジーが「書く」という事の過程を変えてしまうかもしれないということだ。ナボコフについて言うと、彼はまずインデックスカードに書き、その後で妻のベラにタイプライターで書き起こさせていた。こんな風にディクテーションを担当してくれるパートナーというのはそうそういるものではない。しかし、音声認識のテクノロジーが発達してくれば、言った事が全て文字として残されて、後で編集するだけでOK、という事になるかもしれない。

これはあくまで一つの例だが、このような方法を通して、書き手は孤独と鬱屈を伴う作業から解放される可能性がある。しかし、文章の質を保とうと思えばそれなりに大変である事には変わりないし、編集というプロセスそのものはこれからも重要であり続けるだろう。より大きな問題としては、「書く」という言葉の意味そのものが変わるという事があるかもしれない。

良い文章を書くのは大変な事だ。未来にどんなテクノロジーが生まれるのだとしても、今現在の私は、ラップトップとプリンターを使い、自分の考えを形にしていくのみだ。

(参照:Can Technology Change the Experience of Writing?  

 

翻訳は以上です。言われてみると分かる事ですが、「書く」という事がこんなにも孤独を強いられる作業だと言う事は、なかなか事実として重い気がします。「集合知」という言葉がありますが、本当のクリエイティビティというのは、やはり一人のクリエイターによってしか創造され得ないものだという事でしょうか。

実際、テクノロジーが進化していけば、多くの人がキーボードもペンも使わずに言葉を綴る日が来るでしょう。しかし、その本質にある創造性に関しては変わりません。現代は、ソーシャルネットワークで社会や文化の在り方がかわると散々言われていますが、実際に変わるのは本当に表面的な事だけのような気もしてきます。僕もブログを書いている立場として、この辺りを見誤らないようにしていきたいところです。